林家こん平の娘、笠井咲の献身ぶりに涙。生死の境を乗り越えた道のりは多難だった

生死の境を乗り越えた道のりは多難だった 落語家
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多発性硬化症で闘病中の落語家・林家こん平さん(76)ですが闘病当初には悲観して自殺をする寸前までに気持ちが傾いていたことを明かしました。現在では要介護認定も当初の「4」から「2」まで下がるほどに回復し、落語家仲間たちから回復ぶりを絶賛されるなど完全復帰に向けて意欲的な様子でしたがお酒はもう我慢しましょうね。

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林家こん平が生死の境を乗り越えた!!

プロフィール
生まれ  :1943年3月12日
出身地  :新潟県刈羽郡千谷沢村(現長岡市)
1958年 :林家三平に入門
1972年 :真打に昇進
2005年 :多発性硬化症と診断される
現在     :全国を回り闘病についての講演を
おこなっている
著書     :ちゃらんぽらん闘病記

病気で高座をリタイヤし、闘病生活をされているのは

知っていましたが、久しぶりに元気な姿を拝見し、

少しホッとしました。

今回は苦しかったであろう闘病生活の事などについて、

あれこれと調べてみました。

 

笑点などでは「チャーザー村」って笑わしていましたが、

「千谷沢(ちやざわ)村」だったのですね。

でも確かに読めないことはないですね(笑)

 

本名は笠井光男さん。

1958年、弱冠15歳の時にまだ二ツ目で弟子を取れない身分の

初代林家三平さんに、米俵一俵を担いで

弟子入りに来たという笠井光男さん・・・・

これはどう考えても眉唾ものですね(^^ゞ

 

その熱意に負けたのか米俵に負けたのか分かりませんが、

弟子入りを許されました。

そして1962年には二ツ目に昇進。

4年後の1966年には日本テレビで始まった番組「笑点」の

第1回よりレギュラー出演するという出世ぶり!!。

1972年にはついに真打ちに昇進しました。

1980年、師匠の初代林家三平さんが亡くなりました。

 

その後、こん平さんが一門を統一するのですが一門をまとめるた

めに頑張ったストレスで酒量も増えたそうで、

2004年ごろに声が出にくくなり、

目のかすみも気になりだしたそうです。

 

そして「笑点」収録時に、意識がもうろうとして、

ろれつも回らなくなります。

その時はなんとか本番は乗り切り、

その後病院に搬送され病名は「多発性硬化症」。

どんな病気かさっぱり分かりませんね。

 

記憶が途切れ、右手と右足は麻痺、声も出ないといった

症状がでました。

落語家さんというと、やはり声、そして話す事が命。

それが出来ないこん平さんは苛立ちを隠せなかったようです。

それでも家族やお弟子さん達に支えられ、

リハビリに励みました。

言葉の方のリハビリは、落語家仲間の人たちと昔話をしたりして

訓練していったようです。

そのかいあって、「笑点」にも杖をついて少し出演したりして回

復の兆しが見えてきたのですが!!。

しかし2013年・・・・。以前から患っていた糖尿病の影響で左足

の指が壊死。

足からの細菌感染で心臓が弱り、突然心肺停止に!!。

電気ショックで何とか一命はとりとめたものの、壊死した指は切

断することに・・・・。

しかし足の指はなくなっても命を救えたのは

本当に良かったですね。

林家こん平の娘の笠井咲(えみ)とは

プロフィール
林家こん平の二女として幼少の頃より雑誌や
テレビ番組に出演。
出産、育児、介護をしながら、シングルマザー
として、エキサイティングに生きる姿は、
「24時間テレビ」
「徹子の部屋」
「スーパーニュース」
「女性自身」
など雑誌TVで紹介される

そんな現在の林家こん平さんを支えているのは

、次女の笠井咲さんとの事です。

こん平さんが病に倒れた時、咲さんが中心になって

介護をしてきました。

とても多忙の林家こん平さんの次女、

笠井咲さんは結婚しているんでしょうか。

年齢は現在50歳。

経歴は、短大を卒業後、政党本部総務部に勤務し、退職してから

は、アパレル、医療、報道など様々な経験を

積んでいるようです。

そして、お子さんが2人。シングルマザーとあるので、

離婚されているようですね。

2010年に書かれたインタビュー記事では、

苗字が「田中」となっていたのですが、2015年には、

こん平さんの本名と同じ「笠井」になっています。

2010年から2015年の間に、咲さんの人生に大きな変化があった

ようですね。

こん平さんの奥さんも、1998年に脳出血で倒れて、咲さんと咲さ

んの妹さんで介護をしていたそうなんです。そして、

次はこん平さんの介護・・・・本当に大変だったと想像します。

咲さんは、介護をしながらイベント会社を設立。

自らコンサートや結婚式の司会や、講演会もしています。

落語を通して、子供達や闘病している人、

介護をしている人に笑いを届けたいという思いから

落語イベントなども企画。

更に、こん平さんの個人事務所も作り、自身もマネージャーにな

りました。

その中で「都電落語会」を始めました。

そのイベントはそこに父のこん平さんを参加させる事が

目的でした。

それまで、ふさぎ込み気味だったこん平さんも、

この企画にはやる気に。

やっぱり人前に立ちたいという気持ちはずーっと

あったんでしょうね。

 

こん平さんは、この車内で出発の掛け声をかけるのが仕事。

 

「1、2、3.チャラーン」という時はイキイキするそうです。

そしてそのおかげでこん平さんは最初「要介護4」だったのが

「要介護2」にまで回復。

咲さんの企画力と家族の愛、そして何よりこん平さんの

頑張りですね!

ご自身の闘病記を綴ったエッセイ(ちゃらんぽらん闘病記)も発

売しています。

これを読んで逆に励まされた方も多かったようですね。

まとめ

林家こん平さんの現在は?

現在もリハビリはしておられるそうで、高座に出られる日を夢見

て頑張っているとの事。

「徹子の部屋」では、桂歌丸さんが亡くなった事について泣きな

がら話されていました。

また「笑点」で「チャラーン!」を披露するこん平さんを待って

います。

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